デザインの初心  「卒業」

 勉強をすすめない勉強会

 わたしは「プロダクトデザイナー」に将来なりたいという気持になる人が増える事を願って書いたり講演をしたりしています。人生の大切な時間をかけて一生やりがいのある仕事のひとつであることを三十年たっても思いますし、この仕事が誇りでありこの道を選んだ事に悔いが無いからです。
 たとえデザインに関わらなくても「デザインの目」はきっと日常生活を豊かにしてくれるものであると信じています。
 そういう思いがあって今、勉強会のようなものを主宰しています。
 その場にはデザインに関わっている人もいらっしゃれば、デザインに興味があるがこれまでもデザインをしたことのない方も大勢いらっしゃいます。
 そこで時々お話するのは「勉強をやめましょう」ということです。
 勉強会で勉強をやめる事を勧める。とても変ですね。
 それはどういう事かといえば、その場に来る人はおおむねいやほとんど向学心が旺盛で知識も豊富な人が少なくありません。
 しかしながら実生活でデザインをしていて「足らないもの」を感じているからこそわざわざ休みに出かけてくださっている訳です。
 わたしは思うんです。実社会でみんなが感じている「足らないもの」はデザインの知識や学習ではないのではないかと。

 生活という勉強

 インターネットや雑誌などで「デザイン」だけを見ているとあたかも世界がデザインだけで出来上がっているような錯覚を覚えます。
 そしてそれらは半年一年で新しいものに取って替わりいつまで学んでも満足のいかない気持が残ります。
 しかし一旦視野を別に向ければデザインがまったく理解されない「デザインの無い世界」が広がっています。街の景観は雑多なままですし多くの家ではデザイン家電といったものはほとんど使われていないでしょう。
 「デザインはいらない」声にはならないですがそういう意見も多くある事を知っておかなければいけません。
 「足らないもの」それはデザインの知識ではなくデザインが無くてもいいと思う人とのコミュニケーションです。あなたがすでに知っているデザインの知識はすでに「十分すぎる」のです。逆に言えば「捨てる」必要さえあるのです。
 わたしの思いはそういう結論に至ったのです。ですから勉強会という場に学びにこられる人達にむけてあえて「やみくもにデザインを勉強することから卒業しなさい」と言うのです。

 金の斧銀の斧

 デザインを学んでいるとどんどん「デザイン的でないもの」に対して寛容で無くなります。一番こわいのはそういう自分の住む世界の幅を小さくする事です。
 デザインを学ぶ事の神髄は「なんでも無いもの」に美を感じ、法則性を発見することです。朝起きて夜寝るまでずっと身の回りにあるものにしあわせを感じる能力を身につけてくださるならいつまでもデザインを勉強しつづけてほしいと思います。
 すでにデザインされたものはそういう感性のある人達によって生み出された結果であることを思い、そこからは学ぶのでなく敬意を感じて欲しいのです。もし不満であれば自身が発信者としてクリエーターとして、それを改良し買う人に満足を与えて欲しいのです。
 イソップの童話の中で使い慣れた斧を池に落とした木こりは、精霊により戻ってきた金の斧を「自分のものではありません」といってまた池に戻しました。木こりにとって使い慣れた鋼の斧は、まぶしく輝く金の斧より木を切るには適切でしょう。そういう気持のあるひとにしかご褒美としての「デザインの金の斧」はもらえません。
 こうやってわたしは童話からでもデザインの大切さを説明する言葉を思いつくのですから、デザインを説得したければデザイン以外から学ぶことこそが勉強だとわかってもらえますね。

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