デザインの初心  「理想」

 妥協は完成の父

 先日の勉強会で「仕事で妥協したことは、ありますか?」と聞かれました。
 質問された方が仕事の中で妥協を余儀なくされていて、納得がいかない状況にあるのだと感じつつ「妥協は完成の父です。」と答えました。
 わたしは仕事をしていて思い通りに行かないことは、しょっちゅうあります。
 いや思い通りに進んだら、なにか別の悪いことが起きるんじゃないと思うぐらいです。しかしうまく行かなくても「妥協した」なんていう言葉は、使った覚えがありません。たぶん。
 「妥協は完成の父」という言葉は自分を納得させる為に考え付いた言葉ではありません。プロジェクトが難航していたとき、当初のかたちで完成しないことを感じ落胆するスタッフの様子を見て、理想通りに行かなくても「新しいものを作り出す」という大切な部分が果たせたのだから、それでいい事ではないかという気持ちを込めて考えた「キャッチコピー」でした。ものごとのきっかけとなる「発明」が母なら、現実的な結果は「父」ではないかと。ひょっとすると内心一番落胆していたのは、デザイナーのわたしだったかもしれませんが。

 考え方次第です。

 「妥協」という言葉は本来の意味は悪いものではありません。「妥当なところで双方が協調する(歩み寄る)」つまりものごとのあるべき点をお互いに認め合う。それが本来の「妥協」です。
 ところが日常で「妥協」と使う場面を思い浮かべると「彼はわたしよりもデザインについてわかっていない。それを立場やら経験を振りかざして、私の考えたすばらしいアイディアをうまく生かしてくれない。でも生活もあるし組織のバランスもあるから、今回は妥協しておこうか。」おおむねこういう使われ方ですね。つまりそこには、相手より自分の思想やデザインセンスが上であるという「思い込み」があるように感じます。
 しかし妥協と言って美しく自分を納得させてしまうと、物事を考える大事な部分が「棚上げ」「先送り」になってしまうのではないでしょうか。
 また同じような場面に直面したとき、対処する方法を考える貴重な機会を自ら失っているのではないかと思うのですね。
 しっかりと自分の意見「位置づけ」を意識する。納得がいかない部分はごまかさないで記憶にとどめる。そういう捉え方が大事ではないでしょうか。
 もしあなたの意見が正しければ『君の話は、筋が通っていて正しかったよ。今度は頑張ってね。』なんてやさしい言葉をきっと大切な人からプレゼントされるでしょう。そういうのが無かったら? それはあなたのひとりよがりな考え方だったと思うのがいいですね。

 デザインは船、妥協は舵

 わたしは、デザインをするとき、まず今自分が考えられる一番スタイリッシュで「かっこいい」ものを描きます。つまり「理想形」ですね。それはでも「ご挨拶状」のようなものです。依頼者が安心するようなかっこいい絵が描ける事をまずかたちにして示すのです。でも「それがそのまま作れる」とは思っていません。絵空事、絵に描いた「餅」です。そういう「かたち」の理想を、設計・企画・営業に関わる人達に見てもらってすばらしい未来の「共通認識」を持つための道具のようなものです。そこから仕事の第一歩がはじまるのです。
 デザインは「かたち」を作るものですが、大切なのは「かたち」を共有することです。その為に「仮設の理想形」をまず描くのです。そしてその理想形と今現実にあるものを比較して、そこの差を一個一個丁寧に検証するのです。ほんとうにどうしても出来ないのか、これまでの常識はほんとうか。そういう確認が大切です。案外根拠が無かったりもするのです。
 デザインとはみんなを未来に進める「カプセル」みたいなものです。地面が固ければ細くて鋭い形に変えるし、海を渡るなら軽くて安定したかたちに変わらなければいけません。みんなをひっぱるのも大事ですがみんなを「乗せる」のはもっと大切な事です。

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